行政書士の事実証明業務とは

弁護士との棲み分けを求めて(Ⅱ)・・・(下記は抜粋です)

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4. 新しい行政書士業務としての事実証明関連業務を求めて

4.1 行政書士業として作成し得る書類の種類

行政書士の業として作成し得る書類は、大きく分けて、官公署に提出する書類、権利義務に関する書類、事実証明に関する書類の三つになるが、一つの書類は必ずしもその三つに厳格に分けられるわけではなく、一つの書類が、三つすべての性格を持つ場合と、二つ持つ場合或いは一つ持つ場合とがある。書類の利用目的、見る方向によって書類の性格も異なってくるのである。その書類が持つ複数の性格の中で、その性格の主たるものを取り上げその書類を分類することが多いであろう。特に事実証明に関する書類の場合は、官公署に提出する書類と権利義務に関する書類の性格を合わせ持つ場合が多いのであるが、これらの書類の性格を分ける意味は行政書士法の独占範囲を確定させるためには大きな意味があるのである。しかし、日々の仕事の上では書類の性格を分類する実益は存在しない。今回あえて、この分類にこだわるのは、事実証明に関する書類の作成とその関係業務について大きく触れたいこと、特に行政書士業務としての独占性を主張するために原点に帰って考えて書類の性格を分類し確認したいからなのである。

4.2 行政書士業務としての事実証明に関する具体的書類の性格

事実証明に関する書類について前稿で簡単に触れたが、ここでは法的な性格について論述することとする。行政書士法は、事実証明に関する書類の作成業務を行政書士の独占業務として規定している。しかし、この業務を意識して積極的に取り扱ってきた行政書士は少ないであろう。また、日々の仕事に追われ、事実証明に関する書類の作成とは法的に何なのかを理解している行政書士も少ないかも知れない。

刑法第159条(私文書偽造等)の「・・事実証明に関する文書・・」の解釈について「・・実社会生活に交渉を有する事項を証明するに足りる文書・・」(大判明44・10・13、最決昭33・9・16等)とするのが判例の立場である。行政書士法の事実証明に関する書類の作成について罰則規定があることから、この刑法の判例の解釈に準じて行政書士法を解釈することができるが、判例の立場はあまりに事実証明に関する文書の範囲をかなり広く解釈するために罪刑法定主義から問題であろうと考える。従って、事実証明に関する書類(文書)とは、「社会生活の重要な利害に関係のあるものに限られるべきであろう。」(多数説)あるいは、重要とまでも限定せずに少なくとも、「法律的に利害に関係を有する文書」と解することが相当であると考える。文書と書類の意味については文書より書類の方が広い概念と捉えることも出来るが法的には同一の意味と解して良いであろう。区別する実益も存在しない。

代表的な事実証明に関する書類には、株主総会議事録などが存在する。これも、権利義務に関する書類であると主張する者もいるが同調できない。会議の内容等の事実を証明した文書でありその結果で関係者の権利義務に影響を与える意味であり、権利義務に関する書類とは、その書類によって権利義務の発生、変更、消滅等の意思表示を内容とするもの(通説)である。行政書士業の事実証明に関する書類は前述の通り「法律的に利害に関係を有する文書」であるから権利義務関係に影響を与えるものであることは当然であり、それを以て権利義務に関する書類であると解釈することは当を得ないと考える。

決算書いわゆる財務諸表も財政状態、経営成績と言う事実を証明する書類(事実証明に関する書類)である。債権、債務が記載されているのであるから権利義務に関する書類であるとの説もあるがやはり同調できない。財務諸表の債権及び債務の記載はその存在事実の証明であり、財務諸表は意思表示を内容とせず新たな権利及び義務関係を生み出すものではない。従って、財務諸表は権利義務に関する書類ではなく事実証明に関する書類である。

契約書は、契約の成立と言う事実を証明する書類であるが、その以前に、権利義務の発生、消滅、変更等の為の意思表示を内容としている点で権利義務に関する書類と解することができる。勿論、事実証明に関する書類であることを否定するものではない。このように、権利義務に関する書類と事実証明に関する書類は見る方向によって異なる分類になることもあるが主たる書類の機能を考えて分類を考えるべきであろう。

事実証明に関する書類は官公署に提出する書類及び権利義務に関する書類に埋没され、行政書士業務としてはあまり意識されてこなかった傾向がある。しかし、これからの行政書士は、社会環境のグローバル化が進み契約社会が強力に発展し契約書のみではなく事実証明に関する書類も契約書の補完として或いは重要な書類として作成サービスの需要が増えるであろう。事実証明に関する書類の作成を行政書士業務として再認識して、啓蒙、普及する必要があるのである。いよいよ、街の法律家としての役目が大きくクローズアップされる時が近づいてきている。

4. 3 新しい行政書士業務としての事実証明業務の提案

 事実証明に関する書類の作成は当然に証明行為そのものではない。事実証明に関する書類の作成と事実証明そのものとは区別して考える必要があるが両者は証明行為とその結果である証明書作成の関係に立ち、切っても切れない関係である。従って、書類の作成と証明行為を分断して考えるのではなく、一貫した事務の流れとして捉えると、行政書士は事実証明に関する書類の作成を業として行う国家資格制度であるから、新たな業務として証明行為そのものを受任してはと提案するのである。行政書士の証明があれば安心と社会から評価を受けるようになるまでは長い歳月を要するかもしれない。また行政書士一人一人の誠実性と真実を求める心が必要である。従って、全ての行政書士が事実証明を取り扱うのではなく、一定の審査に合格した者のみに認定等の資格を与え業務に従事させる制度を創設させる必要があるであろう。

ある事実について証明する資格制度は、例えば財務諸表の証明を公認会計士が業としている。鑑定も証明の一種と捉えると不動産の鑑定を不動産鑑定士が業としている。さらに公務員の公証制度として事実を証明する業務として公証人の事実実験公正証書制度等がある。公証人の業務は公に証明する業務そのものであるが公証人は公務員であり資格制度とはその本質を異にしている。それらに対して、行政書士は証明行為を特定することなく他の資格法により制限されている証明行為以外の全ての証明を担当する資格制度として発展させてはどうであろうか。

行政書士が、事実証明そのものの業務を受託する体制を整え且つ社会に広く事実証明業務を普及すれば新たな行政書士業務としてニーズが拡大して行くのではないだろうか。時代が変わり行政書士が書類作成のみにとどまらず実体関係に関わる法律家としての地位を築き始めているが、事実証明に関する業務も事実証明に関する書類の作成のみにとどまらず、事実に関して証明行為そのものまでをも受託することは国民の利便に大きく資し、行政書士制度の存在意義をクローズアップすることになると信じて疑わないのである。

権利義務に関する書類の作成は、書類の作成前段の契約代理までをも受任し、代理人としての実質的な法律事務を業として行うことができ、意思表示そのものを行政書士が行い得る行政書士代理制度が確立した。然して、事実証明に関する書類の作成を、証明人(法律事務ではないので代理人としてではない。)として作成することもあり得るであろう。行政書士の事実証明に関する書類の作成は、原則的に行政書士そのものが直接に証明するのではなく証明者が行政書士以外に存在して行政書士が書類を作成する制度になっている。ところが、今後の行政書士業務を考えたとき、権利義務に関する書類の作成を代理人として作成するのと同様に事実証明に関する書類の作成を証明人行政書士が行うべきではないだろうかと考えるのである。公証人が公務員として公に証明するのであるなら、行政書士は民間の国家資格者行政書士として事実の証明を業として行うのである。行政書士の事実証明に関する書類の作成業務の付随業務として位置付けて考えることができるのである。公証人の事実実験公正証書の民間版として位置付け、事実実験保全証明を行政書士が行うのである。公務員と異なる民間である性格から柔軟に対応でき、信用性については行政書士数人が連名で証明することによって真実を担保することも大きな効果をもたらすことが出来るであろう。場合によっては、行政書士の証明した事実実験保全証明書を行政書士が公証人役場に出向いて当該証明書に宣誓認証を受けることも可能である。宣誓認証により実質的には、証明した行政書士が裁判所に出向いて証言した効果に準ずる証明力を持たせることも可能である。問題は、行政書士の証明書がどれだけ公に或いは社会的に信頼されるように確立するかである。然して、その社会からの信頼は日々の行政書士の行いで積み上げて行くことも出来るであろう。この事実証明業務は、いまだ前人未踏で未開拓の行政書士業務であるが、行政書士の意識と努力の積み重ねに因って行政書士固有の業務として築き上げられることを確信するのである。

これから、契約社会が発展して、さらに契約書面社会へと進み、事実証明に関する書類の重要性は益々重要視されるであろう。そんな中で、行政書士は、社会的に信用されて第三者の立場で書類の作成のみに留まらず、証明行為そのものを受託することが行政書士として国民の利便に資すること大である。

4.4 事実証明業務の具体的例

 それでは、事実証明の業務にどんなものがあるかを列挙してみるが飽くまでも一例でしか過ぎない。事実証明業務は人間社会の中では数えきれないほどあるであろう。一応次に列挙してみる。

イ)  著作権の現況証明  ロ)商標、特許等の使用現況証明  ハ)労働組合との団体交渉の現況証明  ニ)株主総会、役員会等の運営現況証明  ホ)団体の役員選挙等の現況証明  へ)境界の現況証明  ト)騒音等の現況証明  チ)建設工事着工前の近隣状況の調査確認証明  リ)賃貸借物件の返却時の現況証明  ヌ)賃貸住宅の借主行方不明時等の室内物品等の現況証明  ル)製造会社の製造過程の現況証明  ヲ)契約の事実確認立会証人  ワ)事故現場等の現況証明  カ)危急時遺言の証人派遣  ヨ)その他の事実の証明

 これらの行為は争訟性のある法律事務ではないかとの疑問を抱く者もいるであろうが、全くの誤認である。事実の証明は事実行為であり法律行為(法律事務)ではない。事実の証明が法律行為(法律事務)であるのなら、宝石等の財産を鑑定し証明することも法律事務と解釈されることになる。しかも、これらの証明は、紛争の中に入るのではなく、紛争を予防し、或いは紛争の再燃を防ぐ予防法務の範疇と捉えることができるから争訟性の性格をも持たない。従って、行政書士の長年の代書人としての業務である予防法務としての本質的観点で軌を一にするものなのである。

4.5 事実証明業務の方法と実際

 証明の方法は、公証人の事実実験公正証書の作成と類似による方法が良いと考える。法律的に利害に関係を有する事実について、行政書士数名が現場に立会い、目・耳・鼻・舌・皮膚の五官の作用で認識した結果を記述することで事実実験保全証明書を作成するのである。当然に、表現力、文章作成能力を問われることになる。

4.6公証人の事実実験公正証書との相違

4.6.1 効果の相違

公証人の作成する事実実験公正証書は、裁判上真正に作成された文書と推定され、高度の証明力を有する。これに対し、行政書士の発行する事実実験保全証明書は、複数の行政書士が事実を証明するものである。公証人の作成する事実実験公正証書と比較した場合、証明力については形式上低く判断されるが、証人2名以上が証明すれば真実を証明する力は大きいものがあるであろう。紛争の予防に、紛争中の案件について過熱の予防に役立であろう。

4.6.2 費用と対応の相違

 公証人の執務時間は原則9時から17時である一方、行政書士は原則24時間受付対応が可能である。さらに、2人又は3人の行政書士により事実証明を行うのであるが、原則、公正証書より手数料を低くすることも可能であろう。行政書士の事実証明は、迅速・柔軟・低料金での事実証明が可能である。行政書士は民間なので、夜間等の受託等で柔軟に対応することが可能であることにも大きなメリットが存在するであろう。

4.7事実証明業務を行う上での認定制度と教育制度の創設

行政書士が、国家資格者として事実証明業務を行うためには、社会的に信用されなければならないが、信用を得るためにはどうしたら良いであろうか。やはり、偽造、虚偽等の不正が一切ないことが大切であるがどのようにしたら不正が防げるであろうか。一つは複数人で証明する慣行にすることであり、さらに、事実証明を取り扱う行政書士として信頼がおける旨の認定制度を創設する必要がある。どんな能力よりもまず誠実であることが一番に求められ、一人の不心得者の存在により社会的信用は失墜するのであるから徹底した認定制度と教育制度が必要である。一定の職業倫理等の教育を受けた後に認定する制度とすることが大切である。行政書士会の中に研修機関を設置することも検討に値するであろう。

4.8事実証明業務の未来

米国においては民間の評価制度が盛んである。 民間企業の評価が公の評価として認知されているのである。官尊民卑の思想がいまだに生きている我が国では考えられないことであった。我が国においての証明業務は公務員が行うものとの意識が強く、民間が証明したものとして確立されているものには公認会計士、不動産鑑定士制度や医師の診断書等が見られるが、他にはあまり見られない。それに対して行政書士は全くと言って良いほど事実証明には力を入れてこなかった。しかし時代は変わったのである。民間が努力次第で信用される時代が到来したのである。そのチャンスを逃す手はないであろう。その為に、行政書士の事実証明業務は、行政書士法に基づく業務として位置付けられなければならない。事実証明に関する書類の作成を業とするものがその付随として或いは関連業務として受託するのである。米国の評価会社などは法的に何の保証もない中で自らの努力で社会的信用、高い評価を得ているが行政書士と言う国家資格を持つ者の証明であることを考慮すると可能性が広がるのである。国民の利便に資する為の制度として確立して行く必要がそこまできていると考える。行政書士諸氏の奮起を期待するものである。